『邂逅』〜かいこう〜
挿絵:霧風 要(敬称略)




放課後。夕闇が訪れる校舎外れを、瀬戸口は歩いていた。
小隊が発足して今日で2日目。戦況は未だ膠着状態にあるが、いず れ自分たち学兵が、実戦に赴く日もそう遠くないだろう。
もっとも、オペレーターというバックアップの職業に就く瀬戸口には、 パイロットやスカウトと違って、己の身体を酷使して幻獣と戦う事はな
いが、実戦では自軍を有利に運ぶ為のサポートや、戦況を正確に 伝えなければならない役目を負っている。
出来る事ならば、自分の口から出るのが、味方の滅した幻獣の名前 だけにして欲しいものだ、と叶う筈のない漠然とした願望を抱いてい た。

「…お?」
スカウトの訓練する正面グラウンドから少し離れた場所で、瀬戸口は ひとり黙々とサンドバッグを叩く小さな影を見つけた。
ご苦労な事だな、と足を進めて近づいた瀬戸口は、その姿を確認する と、今度は露骨に眉を顰める。
影の正体は、少女だった。無駄のない動きで、敵に見立てたサンドバ ッグに己の拳を打ち込んでいる。その度に、彼女の後ろで束ねられた ポニーテイルが揺れていた。
『……芝村舞』
瀬戸口は心の中で、少女の名前を苦々しげに呟いた。


「舞だ。芝村をやっている」

小隊の初日。自己紹介も兼ねた朝のHRで、少女はその堂々たる態度 で自分の名前を告げた。
『味方殺しの芝村』との呼び声も高い、あの一族の末姫。その名を聞 いた瞬間、瀬戸口は無意識に立ち上がり、舞に毒づいていた。
「いけすかないな。確かに俺は真面目じゃないかも知れないが、味方 殺しと同じクラスになるほど落ちぶれちゃいないぜ」
「否定はせん」
瀬戸口の言葉を聞いて、隣席の男子学兵からも彼女に対する批判の 声が飛ぶ。
「我が一族は、我が一族の敵しか殺さぬ。…又、個人的な事だが、 私自身は未だ人間は誰も殺しておらぬ」

『だから自分は蚊帳の外だとでもいうつもりか』
「ったく、戦場以外にもこんな気の抜けないヤツと机を並べなきゃ ならんとはな」
本当はもっと言ってやりたかったが、クラスの委員長で、小隊の司令 でもある善行に咎められた瀬戸口は、そうぼやきながら、わざと乱暴 な音を立てて椅子に腰掛ける。
その寸前、舞は瀬戸口の方へ視線を変えると、少女にしては妙に凛 々しい声で短く言い捨てたのだった。

「―――諦めろ。私も我慢をしているのだ」

明らかに自分だけに対して告げてきた舞の言葉。
『売り言葉に買い言葉』などという、生易しいものではない。言葉の 裏に隠された意味を考え、瀬戸口は僅かにその身を竦ませた。

その日の昼休み。クラスの皆が方々に散っていく中、舞は席に腰掛 けたまま、自分の後ろの席にいるスカウトの来須と話をしていた。
男に興味はなかったが、彼と会話をする舞の表情が、意外と柔らか い事に気づいた。
『あいつ、あんな顔もするんだな』
いけすかない芝村の末姫の横顔を盗み見ながら、瀬戸口は仲間たち と昼食を摂りに教室を出た。
そして、彼女とはそれ以来挨拶らしい挨拶も交わしていない。


「―――そんな所で何をしているのだ?」
どれ位、自分はその場所にいたのだろう。瀬戸口が我に返ると、正 面に舞が立っていた。不意を突かれて、思わず数歩後退する。
「ほぉ、そなたはそのような表情もするのだな。すかした優男だけ なのかと思っていたのだが」
そんな瀬戸口の反応を、舞は面白そうに眺めていた。
「……お前さんに言われるとはな」
「意外だったか?」
「ああ、芝村のお姫様は俺みたいなボンクラは、相手にしないと思 っていたんでね」
わざとおどけた口調で、瀬戸口は足元の砂を靴で払う。
「…私は、そなたをボンクラなどとは思っておらぬ」
舞は一歩足を進めると、瀬戸口を見上げた。
「…?」
「本当のボンクラは、自分で自分をそのように呼んだりせぬものだ」
舞のヘイゼルの瞳が、瀬戸口の紫色の瞳を捉える。ふたりの姿は、 夕焼けに照らされて微妙なシルエットを作っていた。
「―――お前さん、何が言いたいんだ?」
語尾をきつくさせると、瀬戸口は舞を軽く睨んだ。睨まれた方は、 軽く肩を竦めると、
「前に話したであろう?私も我慢をしていると。…まさか、ただの 人に紛れてそなたのような者までいるとはな」
さらりと続けられた言葉の爆弾に、瀬戸口は柳眉を逆立てた。
「どういう…意味だ……?」
妙に口の中が渇く。瀬戸口は固唾を呑んで、舞の返事を待つ。
「言葉通りだ。…どうした?今日のそなたの瞳は、随分と 赤紫色をしているのだな」


刹那。
舞の眼前で、瀬戸口の長い脚が振り上げられた。戦闘訓練の授業で の、やる気のない蹴りではない、鋭い攻撃が舞を襲う。
舞は寸での所で身をかわすと、左手を瀬戸口の胸元に近づけた。
多目的結晶を持つ人間にしては珍しい左利きの舞の突きが、今度は 逆に瀬戸口に迫る。
瀬戸口は地を蹴ると、舞の手から飛びのいた。互いに距離を置くと、 構えたままの姿勢で睨み合う。
「…!」
ぶつん、と何かが切れる音がした。舞が頭に手をやると、それまで 髪を束ねていたゴムが地面に落下する。続いて舞の黒髪が、ぱさり と音を立てて背中まで垂れ下がった。
「…お前さんが何をしようが構わない。ただし、それに俺を巻き 込むな」
瀬戸口は抑揚のない声で舞に凄んだ。こぼれ出た自分の感情を無 理矢理押し込めるように、肩で息をする。
鈍く輝いていた瀬戸口の瞳孔が、その呼吸に合わせて赤から元の 紫に変色していった。
「……」
乱れた髪を手で梳きながら、舞は瀬戸口を見つめた。
「――すまぬ。ちょっと、そなたの本気を試したかっただけだ。 我ながら、小ずるい手段だった思っている。許せ」
その風貌に相応しく、舞の声は女性にしては妙に凛々しい。毒気 を抜かれた瀬戸口は、軽く舌打ちすると舞に背を向けた。
「こんな事はもう勘弁してくれよ。何を考えているのかは知らな いが、俺は今の生活にそれなりに満足しているんだ。それを壊さ れたくはない。……卑怯くさいが、これが正直な俺の気持ちだ」
「……そうか」
瀬戸口の告白に、舞は肯定とも否定とも取れる返事をした。それ を聞いて、瀬戸口は彼女前から去ろうと足を踏み出す。
数歩歩いた所で、ふと何かを思い出したように立ち止まると、
「―――どんな間抜けな落武者姿になるかと思いきや、中々その ヘアスタイルも似合ってるじゃないか」
いつもの調子に戻った瀬戸口は、顔だけ舞の方を向くと、髪の解 けた舞に指を立ててみせた。
人をからかうな、と舞が怒ると思ったのだが、この姫君の反応は 意外なものだった。
「…そなたも、どんなだらしない男になるかと思ったが、 随分とワイルドな格好も似合うのだな」
「──え?」

だんでぃVSないと。

そう言われた瀬戸口は、自分の胸元が妙に涼しいのを覚えた。
目を向けると、着ていた制服のシャツが、胸の部分まで全開に なっていた。
「───!」
慌てて振り返った瀬戸口の視線の先では、舞が、手の中にあるネ クタイとボタンを面白そうに弄んでいる。
「優しき鬼よ。そなたに、私の正体を教えてやろうか」
舞は横目で瀬戸口を見た。ヘイゼルの瞳が、何処かいたずらっ子 のような光を帯びていた。
「な…」
「私は変異体(イレギュラー)だ。北辰の名を語る商人たちが、 うっかりこの世界に遣わせてしまった諸刃の剣」
舞は、瀬戸口の前に回ると、その手にネクタイとボタンを載せる。
「―――後で、ののみか壬生屋にでも繕ってもらうがいい」
悠然と歩き去る舞を、瀬戸口はただ呆然と見送る。彼女の姿が 完全に見えなくなっても、暫くの間、その場を動く事が出来な かった。
己の舌がようやく回りだしたのを確認すると、瀬戸口は何処か 不快気に表情を歪めながら、彼女が告げた名前を自分の中で反 芻させる。

「…何でそこで、壬生屋のお嬢さんが出てくるんだよ」

いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。



瀬戸口VS芝村。これが可愛げのある「舞ちゃん」なら、ステキなロマンスも生ま れるのに、ウチではてんでダメですね。友情・愛情はともかく、お互いが持って いるは今の所「興味」です。(鬼は変異体に、そして変異体もまた然り)
……という事は、状況次第では甘い恋の話もできる可能性もあるのかな?
「瀬戸口、この私の胸に飛び込んでくるがいい。ヌルっと、さあ ヌルっと
 ──────ダメじゃん、それ………



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